ある日、父が要介護になった。

初めて直面した、親の介護ネタを中心に。

高齢者、家を借りる。

2011年3月の震災の影響で、とーちゃんが当時借りていた

アパートが取り壊し予定になってしまった。

 

退去はしなきゃいけないけど、

高齢者ということで、なかなか次の家が見つからなかった。

 

いつも私達には弱いとこ見せずに

「へーきへーき」「大丈夫」と言っていたとーちゃんが

かなり精神的に参っていたのを覚えてる。

 

公営住宅とかに入れないかと役所に相談したけど

生活保護だったら入れる』みたいに言われて…。

その時は、年金払ってる方が損だな、とか思ってしまったね。

行政に文句言う前に、身内の自分が動かねばいかんのにね。

 

どうしても腰が重かったのには理由あるけど、まあそれはさておき。

これ以上住むとこ決まらんかったら、とーちゃんが嫌がっても

一緒に済むかいな、と動こうとしたタイミングで家が決まった。

 

アパートの2階。

もちろんエレベータなし。

そして風呂なし。

 

多少は心配した。その当時で70後半だったし。

でも、健康状態に何の問題もなかったし、

決まったことが『ありがたい』って思いが心配を上回ってしまったよ。

ついつい自分も「動かなくてすむ」ってホッとしてたのが、正直なとこ。

 

でも、やっぱり今回みたいに、歩くのが厳しくなってしまえば

誰かにSOSできない限り、階段が断崖絶壁になって

部屋が孤島になっちゃうよね。

 

それだって、分かってたはずなのに。

いつも元気だったから、目を背けてたんだよね。

電話もろくにしないで、ねーちゃんが電話すれば大丈夫でしょ、みたいに。

 

ごめんね、とーちゃん。

これからは、絶対そんなことしないからね。

 

話がそれてしもうた。

んで、今回のことで弁当・デイサービス・訪問介護などなど

とーちゃんが生活できる環境を整えてもらって2週間。

 

ケアマネさんから電話。

前日にケアマネさんとの面談日を決めたから

その変更かなと思って出たら…

 

「突然なんですけど、お父さん入院しました。」

 

ええーーーー!

話を聞いてみると、いつもより足が動かず

立つのも難しい状態になってて、これはおかしいと、

デイサービスからそのまま病院に直行。そして入院。

 

本人の意識もしっかりしているし、連絡来たのがもう夜だったので

ワタシとねーちゃんは翌日、会社を休んで病院へ行くのであった。

いい人祭り

時系列が前後してしまうが『いい人祭り』に祭り上げられた方たち。

 

・いい人その1:社会福祉士Tさん

ねーちゃんが役所に行ったその日に、弁当やデイサービスの手配、病院への付き添い(介護保険の認定申請?)等、色々やってくれた。

物腰も柔らかくて凄くいい人。

 

・いい人その2:ケアマネKさん

現場で動いてくれた人。とーちゃんの様子がおかしくなった時もすぐに気づいて病院へ入院させてくれた。頼れるお母ちゃん的存在でした(今は担当じゃないので…)。

今入所している施設を紹介してくれたのもKさん。

 

・いい人その3:相談員Mさん

入院先のソーシャルワーカーさん。多分20代。可愛い。

お金のことも含めて、退院後の相談に乗ってくれた。

Kさんとは別の施設も紹介してくれて、面談まで設定してくれた。

 

・いい人その4:大家さん

とーちゃんが入院したりでバタバタしてて、家賃の支払をすっかり忘れてたのに、嫌な顔するどころか、ものすごく心配してくれてた。

「何もできなくてごめんなさいね」って、謝るのはこちらのほうです!

(もちろん、家賃は気づいてすぐに払った。)

 

この他にも、デイサービスのAさんや、不動産会社のSさん…等々、本当に色んな方にお世話になって優しくしてもらった。

 

仕事だからやるのが当たり前、なのかもしれんけれど。

でもさ、私やねーちゃんは、「その後、(とーちゃんの名前)さんの体調はいかがですか?」とかの一言が、本当にありがたかった。

ん…?ありがたかった?嬉しかった?

…まーちょっと違うけど、そういうプラスな感じ。

本当にありがとうございました。

 

そして、次はデイサービスから入院あたりの話。

ねーちゃん大活躍の巻

SOS事件のあった週末、再びとーちゃん宅へ訪問し

あれこれ食糧を差し入れしつつ、これからの事を考える。

 

同じ県内にいるとは言え、私は西側、とーちゃんは東側。

平日は仕事終わってから行くのは現実的ではないし

週末だって、確実に毎回行けるとは限らない。

 

悩んだ末に、宅配弁当とネットスーパーを利用しようと考えた。

もちろん、とーちゃんはネットは使えないので

とーちゃんに電話して欲しいものを聞いて、私が注文するのだ。

毎日の食事は、高齢者向けの宅配弁当を契約すればいい。

これなら何とかなる!と思い、ねーちゃんにもドヤ顔で説明する。

 

その数日後。

ねーちゃんから電話。

「今日、会社休んで役所に行ってきた。

社会福祉士の人を紹介してもらって、相談に行ったら

緊急性が高いってことで、すぐに介護認定の申請準備と

弁当・デイサービスの手配してくれたよ!」

 

目から鱗がバリバリ落ちた。

 

何がって、自分の頭に『行政に相談する』ってことが

一ミリも浮かんでなかったから。

そして、そんなにすぐに動いてくれるなんて思わなかったから。

一緒に病院も行ってくれたらしい(介護認定で必要だとか何とか)。

 

この翌日にも、社会福祉士の方がケアマネージャーさんを連れて

再度訪問してくれて、あっという間に事は進んでいった。

 

自分本位だなとは思うけど。

この時ほど、行政のありがたさが身に染みたことはないかもしれない。

右も左も分からず、自力で何とかしようともがいてたところに

手を差し伸べてもらって、道を教えてもらえた。そんな感じ。

 

役所に相談することを思いついて、即行動に移したねーちゃんも凄い。

思いつかない私がバカなだけか。そうですね。

 

そして、これを皮切りに『いい人祭り』が幕を開けたのだった…。

 

とーちゃんからのSOS

とーちゃんは、過去に危篤になったことがある。

今から10年くらい前だ。

その時は胆石をこじらせて(?)、敗血症になってしまい

本当に「今夜がヤマです」的な事を主治医から言われた。

とーちゃんは見事にヤマを乗り越えて、半年くらいで退院した。

その時、とーちゃんは私との同居提案を、面倒くさいと華麗にスルー。

 

2年ほど前に、前立腺の手術をする時も

私達には知らせず、手術が終わって退院間際に連絡がきた。

看護師さんに「娘さんたちに連絡しなさい」と怒られたから連絡したそうだ。

怒られなきゃ入院したこと言わないつもりだったそうな。

 

そんなとーちゃんが。

今年の2月、東京に大雪が降った数日後の夜、突然ねーちゃんに連絡してきた。

 

「何も食べ物がない。ご飯買ってきてくれないか」

 

内緒話をしてるのかと思うほどの小さい声。

何を聞いても要領を得ない返事。

 

ただごとじゃない、と感じたねーちゃんは救急センターに相談。

そして救急車で病院に運ばれた。

 

夜遅かったことと、ちょうど仕事終わり且つ帰宅前だったので

ねーちゃんから連絡を受けた私が、そのままタクシーで病院へ向かう。

 

検査の結果、食べてないせいで衰弱してるものの、特に問題なく

本人の意識もはっきりしてたため、帰宅。

 

なんでもっと頻繁に連絡とらなかったんだろう。

お正月ですら挨拶の電話もしなかった。

なんてひどい娘なんだろう。

今でも申し訳ない気持ちで苦しくなる。

 

きっと、とーちゃんは歩くのもしんどくなって

雪も積もって外出できなくて

お腹減ってどうにもならなくて、我慢して我慢して

それでも耐えられなくなって、SOS出したんだ。

本当に、本当にごめん。

あの時出してくれてなかったら、多分、とうちゃんは餓死してたと思う。

SOS出してくれて本当にありがとう。

 

病院から帰る前に、先生にこう言われた。

認知症の可能性があるので、後日改めて脳の検査をしたほうが良いです」

 

そしてこの数日後、ねえちゃんが大活躍。

家族紹介的な何か

恐らく頻繁に出てくる人たち。

 

yam(♀)

アラフォー独身。一人暮らし。

小っちゃいIT企業に勤務。お局とはワタシのことだ!!

すぐ感情的になるが、まだ更年期障害ではない。

 

ねーちゃん

2つ上。2人の子持ちシングル。

どっかの企業の契約社員。かーちゃんと同居(あまり仲良くない)。

若い頃はyamともあまり仲良くなかったが、今はかなり仲良し。

小さい頃から感情表現がヘタで意地っ張りな可愛いヤツ。

 

とーちゃん

御年79歳。頑固で見栄っ張りだけど、荒ぶったりせず穏やか系。

今から20年以上前に、かーちゃんと離婚してから今まで、ずーっと一人暮らし。

yamとはあまり仲良くなく、過去に10年ほど絶縁していたが

ねーちゃんが子供産んでからyamとも交流再開。

このブログの主役に抜擢される。

得意技は、物を溜め込む。

 

かーちゃん

60代前半。元気に働いてます。

料理が超得意。なお、娘二人は家事全般が苦手な模様。

離婚後はとーちゃんとは、ほぼ絡みなし。

 

こんな感じ。